白石大使の活動報告コメント「同盟の契り,今も堅く」
令和4年3月30日


3月23日,スイス連邦発祥の地とされるシュビーツ州を訪問しました。シュビーツ州はウーリ,ウンターヴァルデンの両州とともに盟約を結び,ハプスブルク家の支配に対向しようとしました。それが1291年8月初めにリュトリ(ルツェルン湖の麓)で調印された誓いです。
自分たちの土地と財産を守るために同盟を結んだ仲間の集まり,という意味で「盟約者団」といわれ,これがスイス連邦(盟約者団)の由来になっています。
この盟約の原本がシュビーツ州にある連邦文書博物館に展示されています。州政府を訪れた際,州政府閣僚のシュテーリ氏,官房長官のブルン氏からシュビーツ州の現状について説明を受けた後,庁舎の目の前にある博物館を案内してもらいました。
実際の案内役は州政府の文化局長が担当して,スイス原初3州の盟約とその後の歩みを詳細に説明してくれました。
肝心の盟約書はガラスのケースに陳列されています。羊皮紙に黒のインクで横書きされ,ラテン語で書かれています。ケースのガラス越しに読むことができます。羊皮紙の下部に3州を代表する封印(直径5センチぐらいの蝋作りの印)が羊皮から釣り下げられていますが,そのうちの一つが欠落していました。700年以上の時間が経つうちに無くなったのでしょう。しかし保存状態は極めて良好でした。
盟約が成立したからといってスイスがその後,無事平穏に平和を守ってきたわけではありません。周辺の都市,貴族,教会などと合従連衡を繰り返し,武力衝突による多大な犠牲を出しながら苦難の道をたどったことを,スイスの歴史が教えています。
盟約書の展示のそばに,ウィリアム・テルの像が立っていました。テルはオーストリアの悪代官を懲らしめたスイスの英雄として知られていますが,伝説上の英雄だというのが定説になっています。
子供のころ,ウィリアム・テルのテレビ番組を見た記憶があります。悪代官ゲスラーをてんてこ舞いさせるテルの活躍に大喜びしました。
昔を思い出しながら,スイス建国の歴史を振り返った次第です。
(3月29日記)
自分たちの土地と財産を守るために同盟を結んだ仲間の集まり,という意味で「盟約者団」といわれ,これがスイス連邦(盟約者団)の由来になっています。
この盟約の原本がシュビーツ州にある連邦文書博物館に展示されています。州政府を訪れた際,州政府閣僚のシュテーリ氏,官房長官のブルン氏からシュビーツ州の現状について説明を受けた後,庁舎の目の前にある博物館を案内してもらいました。
実際の案内役は州政府の文化局長が担当して,スイス原初3州の盟約とその後の歩みを詳細に説明してくれました。
肝心の盟約書はガラスのケースに陳列されています。羊皮紙に黒のインクで横書きされ,ラテン語で書かれています。ケースのガラス越しに読むことができます。羊皮紙の下部に3州を代表する封印(直径5センチぐらいの蝋作りの印)が羊皮から釣り下げられていますが,そのうちの一つが欠落していました。700年以上の時間が経つうちに無くなったのでしょう。しかし保存状態は極めて良好でした。
盟約が成立したからといってスイスがその後,無事平穏に平和を守ってきたわけではありません。周辺の都市,貴族,教会などと合従連衡を繰り返し,武力衝突による多大な犠牲を出しながら苦難の道をたどったことを,スイスの歴史が教えています。
盟約書の展示のそばに,ウィリアム・テルの像が立っていました。テルはオーストリアの悪代官を懲らしめたスイスの英雄として知られていますが,伝説上の英雄だというのが定説になっています。
子供のころ,ウィリアム・テルのテレビ番組を見た記憶があります。悪代官ゲスラーをてんてこ舞いさせるテルの活躍に大喜びしました。
昔を思い出しながら,スイス建国の歴史を振り返った次第です。
(3月29日記)